奴振りは各地にあり、江戸時代に小田原でも伝えられてきました。明治の廃藩置県で旧小田原藩主が東京へ移る際、松田の住民が「地元の寒田神社の祭礼に入れる形で、奴振りを後世に残したい」と技を習得したのが、松田での始まりとされます。昭和初期には箱根に伝わり、今の「箱根大名行列」につながっていると言われています。

江戸時代、参勤交代や上洛する場合。公式の行列を組み、要所要所で奴振りをしました。
道中全て奴振りをしたわけではありません。経費が嵩むことが要因なのかもしれませんが、大名も常雇いの奴振りをする人達を連れて行かず、奴振りをするときだけ日当を払って人を集め行っていたそうです。この奴をする人を集める人入れ稼業の親方が赤坂という所に住んでいたことに由来して「赤坂奴」と呼ぶようになりました。

その昔江戸時代に参勤交代によって大名が江戸と国元を往復する際の行列のことです。
参勤交代に起源し、諸大名が徳川氏に対する臣従の証拠として江戸城に人質を預けたことに始まります。

参勤交代とは地方大名の役儀・奉公として義務づけられたことを指し、毎年四月が交代期と定められました。こうして、諸大名は在府・在国一年交代となり、大名行列が一般化し、江戸時代の重要な行事の一つとなっていたのです。